プロレスラーの船木誠勝が、息子の本音に号泣!?
金曜プレミアム『妻は怒ってます!』(フジテレビ系)が11月23日(金)午後7時57分の放送で、船木誠勝の妻、舟木いづみさんが恐れる妻として登場します。
妻・いずみさんは怒っていることは、夫・船木は、一人息子を一人前のプロレスラーに育てるべく生後間もない頃から、「Do or Die(やるか死ぬか)」の特訓を毎日させてきました。
時には、その厳しい特訓が行き過ぎていづみさんが思わず止めるという事態もあったそうです。
しかし、その息子も中学生になり意外な才能があることに気付きます。
妻・いずみさんは、息子の将来は息子が決めるべき、息子は本当は別の夢があるのではないかと、夫・船木と対決するためにスタジオに登場します。
そして、息子の本音の発言をVTRで見た夫・船木が、突如、大号泣しながらスタジオに登場します。感動のフィナーレがありそうです。
船木誠勝とは、あのヒクソン・グレイシーとの引退をかけた戦いとは
船木 誠勝(ふなき まさかつ)1969年3月13日生まれ。プロレスラー、総合格闘家、俳優。本名及びリングネームは、船木 優治(ふなき まさはる)
若手時代は本名でリングに上がっていました。
妻は、元舞台女優の喜山いづみさんです。
完全実力主義を標榜するプロレス団体であるパンクラを設立し、自らエースとして第一線として活躍しました。
そして、2000年に、ときの世界最強で、生涯無敗を誇っていたヒクソン・グレイシーと対決します。
対戦当初から、船木は、「この試合には、俺が勝つ。もし、負けることがあれば引退する。」と宣言していました。
この試合は、2000年5月26日、東京ドームで行われ、船木がパンチによりヒクソンの左眼窩底を骨折させ、有利な試合運びを見せていましたが、一瞬のスキを突かれてチョークスリーパーをかけられます。それでも船木はギブアップすることなく、最後は失神負けとなりました。
そして、試合後に「格闘技は勝負は1回だけなので、失神したら終わりですから。潔く足を洗う決心をしました」と、潔く引退をしました。
その後、2007年12月31日、K-1 PREMIUM 2007 Dynamite!! で現役に復帰し、メインイベントで桜庭和志と対決した。
最近では、2016年12月4日、DDTプロレスリングに初参戦し、また、2017年8月22日より松竹芸能所属となり、芸能活動も行っている。
喜山いずみ の経歴と二人の馴れ初め
喜山いずみ(きやまいずみ)生年月日不明(現在推定42歳)。元舞台女優。現在は専業主婦だと思われますが、舞台女優当時は、劇団”唖然房”の看板女優でした。
喜山いづみさんはその昔、劇団”唖然房”の看板女優でした。
その唖然房の舞台「旅の途中 Oh!マイ・フレンド」(1998年6月)で、いずみさんは、船木誠勝さんと共演します。
そして、舞台共演ですぐに意気投合した2人は、船木誠勝さんが31歳、喜山いづみさんが24歳の時にご結婚されています。
2人の馴れ初めも舞台がきっかけで、船木誠勝が主演する舞台に喜山いずみも出演していたことから交際に発展します。
そして、二人の距離が近づいたのは、2000年のヒクソン・グレイシー戦を前にしてのいずみさんの献身的なサポートに始まります。
船木さんは、いづみさんに、「もしこの対戦によって死ぬかもしれない。でも付き合いしたてで死んだら、離れ離れになってしまうと考えた時『入籍するしかないね』となった」ということで、決戦を前に、1999年11月1日に入籍されたそうです。
結婚式は、東京都中央区の銀座東武ホテルで行われ、結婚披露宴には約200人が祝福に訪れ、盛大にとり行われたようです。