目次
★卑弥呼とは
卑弥呼とは、邪馬台国を率いた女帝です。
邪馬台国とは、西暦200年前後に30もの小国を率いていた国であり、卑弥呼はそこの女帝として権威を誇っていました。
しかし、この卑弥呼の存在は、古代史最大のミステリーで、卑弥呼が記載されているのが、「魏志倭人伝」という中国の文献のみであり、古事記、日本書記などの日本での文献に卑弥呼が登場しないことが、そのなぞを深めています。
★卑弥呼はどこにいたのか?
邪馬台国は、中国との交流があるほどに栄えていました。それでは、この邪馬台国は、どこにあったのでしょうか?
中でもよく取りざたされるのが、九州説と近畿説です。
九州には吉野ケ里遺跡があり、当時の繁栄が伺われます。
一方、近畿には卑弥呼の墓と言われている奈良の箸墓古墳があります。
しかし、どちらも決定的な証拠はなく、また、九州には墓らしきものは見つかっておらず、奈良県にある箸墓古墳は年代が合わないと言われています。
★邪馬台国の存在を示す魏志倭人伝にはどのように記載されているのか
邪馬台国及び卑弥呼は、中国の魏志倭人伝にのみ記載があるものです。
それでは、この魏志倭人伝には、邪馬台国は、どこのあると記載されているのでしょうか?
魏志倭人伝には、北九州から船で南方に20日間行ったところとあり、九州では距離が合わず、近畿では方角が異なることになります。
それでは、この2つの条件を満たす場所は、日本のどこになるのでしょうか?
★新たに浮上した邪馬台国の徳島県説
この2つの条件を満たす場所として、邪馬台国が存在したのではないかと言われているが、徳島県です。
徳島県には、無数の古墳があり、当時の繁栄を物語っています。
また、中でも徳島市国府町の「八倉比売神社」は、卑弥呼の墓があるのではないかと言われています。
ちなみに、この付近には、銅鐸などの当時の繁栄を伺わせる貴重な品々が発見されている。
それでは、この神社、どのような神社なのだろうか?
★卑弥呼の別名
まず、この「八倉比売神社」のご祭神は、大日霊女命(オオヒルメノミコト)、別の名が天照大御神(アマテラスオオミカミ)とされています。
あれっ、祭られているのは、卑弥呼じゃないの?
だけど、繰り返しになりますが、卑弥呼のことを記載しているのは、中国の文献である「魏志倭人伝」でしかありません。
ここで疑問が出てきます。
卑弥呼ほどの大物でありながら、どうして日本の文献にはできこないのか?古事記、日本書記には、卑弥呼の時代のことも多々記載されているのに不自然です。
それでは、日本では別の名前で呼ばれていたことも十分に考えられます。
古事記、日本書記などで、別の名前で呼ばれていたとすると、候補者としては、3名程度(神功皇后、倭姫、天照大御神)に絞られます。
この3名の中で、①宗教的権威があり、②倭の国の女王であったこと、③生涯夫を持たなかったこと、という3つの条件を満たすのは、天照大御神だけです。
とすると、卑弥呼とは、天照大御神のことなのでしょうか?
★卑弥呼って天照大御神なの?だけど、天照大御神は神話の人?
しかし一方で、天照大御神というと、神話の世界の人物だというイメージが強いですよね。
その神話の内容は、天照大御神が天岩戸に隠れ、世の中が真っ暗になったと言われています。このようなことは、本当にあったことなのでしょうか?
ここで、検証してみると、西暦247年から248年にかけて、2年連続で、昼間でも真っ暗になる皆既日食が起こっていることが分かっています。
そうすると、岩戸に隠れて世の中が暗くなったという、神話の中の物語は、皆既日食の時のことを語り継いだのではないでしょうか。
であれば、卑弥呼は天照大御神であり、神話の出来事は実話に基づいたお話であるということになります。
★卑弥呼のお墓が発見されれば手掛かりになるのですが・・
以上のような内容は、仮説としては面白い話ですが、何か証拠がほしいですよね。
しかし、証拠と言っても、現代において、卑弥呼とは天照大御神のことで、邪馬台国は徳島県に存在していたということの確固たる証拠というのは、やはり卑弥呼の墓を探しあれるのが、最も近道だと思われます。
それでは、「八倉比売神社」に残された文献の中には、天照大御神の墓はどこにあるかという手掛かりは記載されていないのでしょうか?
この神社の古い文献には、天照大御神の墓は、神社の本殿から三十間(約55m)登ったとこに五角形のお墓があると記載されていることが分かりました。
このため、その場所に行ってみると、記載のとおり五角形に石が綺麗に積まれた墓らしき塚があります。
これが、卑弥呼の墓なのであろうか?
この神社の宮司さんによると、この五角形に石が綺麗に積まれた塚については、専門の歴史学者などが、発掘調査をさせてほしいと多数の依頼があるそうですが、仮にも、神話にもなっている天照大御神の墓なので、全てお断りしているといいます。
まあ、当然と言えば当然ですよね。
★最後に
卑弥呼及び邪馬台国については、残念ながらこれ以上情報を持ち合わせていませんので、ここらあたりで終了させていただきます。
ですが、今回、ご紹介させていただいている内容は、理論の通った内容であり、歴史学者の中にも、卑弥呼=天照大御神 説を支持している方は沢山おられますし、私自身もそうであればと思っています。
それでは、徳島市国府町から新たな発見がさなれることを祈念して、この辺りで終わらせて頂きます。