にわかには信じがたい説であるが、明治天皇の父である孝明天皇は、明治維新の前に、暗殺されたのではないかという噂があります。
幕末当時、尊王攘夷が叫ばれる中、時の天皇であった孝明天皇は、相当の攘夷論者で、開国を徹底的に否定していました。
しかし、孝明天皇が天然痘で36歳の若さで他界します。
これにより、時代は明治維新へと大きく流れていきました。
それでは、今回は、この孝明天皇暗殺説についてご案内します。
目次
★孝明天皇が長生きしていれば明治維新はどうなったか?
幕末の列強各国が来日する中、時の天皇は孝明天皇でした。
孝明天皇は、弘化3年(1846年)に16歳の若さで即位しました。
そして、強い意志で物事に対応する性格で、政治にも強い興味を持っていました。
また、この孝明天皇、徹底した攘夷論者で、諸外国を打ち払うべきだという思想を持っていました。
さらに、孝明天皇は佐幕派でもあり、幕府を擁護すべきと考えていました。
このため、もし仮に、孝明天皇が長生きしていれば、開国から明治維新への流れは、大きく異なったものになっていたのではないかと言われています。
★孝明天皇の他界
しかし、慶応二年(1866年)、36歳の若さで、孝明天皇は天然痘でこの世を去ってしまいます。
この訃報に、政治状況は急速に展開し、討幕開国派の意見が一気に強くなり、明治維新へと流れていきました。
★このタイミングでの死亡に囁かれる暗殺説
このように、孝明天皇の他界は、余りにも討幕派にとって、良いタイミングであったため、誰かに毒殺されたのではないかと言われるようになりました。
さらに、亡くなった経過に違和感がありました。
孝明天皇が病に倒れたのは慶応二年(1866年)12月11日のこと。その後、19日に峠を越し、24日にはほぼ回復していたにもかかわらず、夜半に病状が急変し、翌日に血を吐いて死亡されました。
このように、いったんほぼ回復したあと、急変していることから毒殺説が出てきたのでした。
では、その犯人は誰なのか?
それは、結果として、孝明天皇の他界により最もメリットを受けた人物で、かつ天皇を毒殺ができる人物というと限られてしまいます。
最も先に挙がったのは、明治維新の立役者の一人、岩倉具視でした。
★朝廷内での居場所をなくしていた岩倉具視
岩倉具視は、文政八年(1825年)に、公家の子として産まれたました。
安政元年(1854年)に孝明天皇の侍従となります。
その頃は、岩倉も孝明天皇と同様に攘夷論者でしたが、幕府が公武合体を模索し始め岩倉へ相談すると、岩倉は皇女・和宮と14代将軍・徳川家茂との婚姻を実現させました。
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しかし、このような岩倉の攘夷論者から公武合体論者への転身に、朝廷内の攘夷論者から大いに反発を招き、岩倉は朝廷から追放されて蟄居の身となりました。
それでも、岩倉は薩摩藩士の大久保利通と接触します。
そして、大久保の「討幕の好機」という意見に共鳴し、今度は討幕派へと転身しました。
岩倉は、ある意味で、時代の流れを読むのが上手い、また、ある意味で、信念を状況によって、すくに変化させてしまう人物でした。
★暗殺の実行犯は誰か?
討幕派となった岩倉は、蟄居先から孝明天皇に、討幕の道を提案した手紙を書きました
しかし、岩倉は、ついこの間まで公武合体論で、皇女と将軍の婚姻を推し進めていった張本人です。
このため、孝明天皇は、岩倉の手紙を無視しました。
しかし一方で、岩倉は、大久保利通や公家の中山忠能らと、孝明天皇から討幕の密勅を得る計画を立てていましたが、絶対に無理です。
このため、岩倉は、孝明天皇を毒殺したのではないかと言われているのです。
ちなみに、この毒の実行犯は岩倉の子で、幼児から児として天皇のそばに仕えていた岩倉具定、或いはもう一つの説として、15名いた典医のなかにいるのではないかと噂されていました。
★最後に
以上の内容が、孝明天皇が亡くなられた時に、囁かれていた噂の概要です。
あくまでも、噂の域を
この後、岩倉は、朝廷に返り咲き、明治政府では右大臣に就任して、政治の実権を握るまでになります。
岩倉にとって、このような輝いた未来は、孝明天皇の死がなければ得ることはできなかったため、このような黒い噂が囁かれるようになったと思われます。
★まとめ
・明治天皇の父・孝明天皇は相当な攘夷論者で、佐幕派だった。
・このため、もし孝明天皇が長生きされていれば、明治維新はかなり遅れるか、或いは違った形で近代日本の道を進んでいたと思われる。
・しかし、孝明天皇は、36歳の若さで、天然痘が原因で亡くなられた。
・このタイミングで亡くなられるのは、余りにもタイミングが合うので暗殺されたのではないかという説もある。
・もし、暗殺なのであれば、犯人は孝明天皇が亡くなられて、最もメリットを受けた岩倉具定ではないかと噂されていました。
・しかし、あくまでも、噂であり、根拠はない。