★日本とメキシコとの関係
メキシコというと、皆さんはどのようなイメージをお持ちでしょうか?
アメリカの南部にある北米大陸の国、日本からは遠い国、そして、アメリカやヨーロッパ諸国、アジア諸国と比べても日本との関係が深いというようなイメージはない方が多いと思います。
しかし、日本にある数ある大使館の中でも、メキシコ大使館は、千代田区永田町2丁目という、国会、首相官邸の直ぐ近くという一等地に一戸建てで有しており、その土地も日本から提供されたという、他には例を見ない高待遇だそうです。
どうしてなの、と思いたくなりますが、これには、深い理由があります。
それは、明治時代に、日本にとって初めて平等条約を結んでくれた感謝の表れでした。
★メキシコ観測団の訪日
1874年、金星が太陽面を通過して、地球に大接近するという天文学的な出来事がありました。そして、その観測には、日本が適しているということで、イギリス、アメリカなどの列強は、当時締結されていた不平等条約を振りかざし、よい観測地点に乗り込んできました。
一方、コバルービアス団長率いるメキシコ観測団は、日本と国交がないうえに準備も遅れてしまい、日本で観測する土地を確保できませんでした。
しかし、日本側の好意で、最も条件が良いとされた横浜の野毛山を観測値としてメキシコに提供し、電力などのサポートも行いました。
そして、コバルービアス団長は、日本に滞在中に日本人の特性に驚きました。
★コバルービアス団長の日本人観
彼はメキシコ政府への報告書の中で、日本人の特性を次のように報告しています。
「日本人は勤勉でまじめ、教育が行き届き、礼節をわきまえている。彼らがメキシコに移住してくれば、日本人はどのような不利な境遇に置かれても努力と勤勉さで成功し、メキシコ国民の良き手本となるだろう。」「さらに、日本の警察は武器を使用しない。これは日本人が警察に対して尊敬の念を抱いているからで、警察が力に訴える必要がないからだ。同時に家は木や紙で造られているにもかかわらず泥棒が少ない。我々が住んでいた場所からも盗まれた物は何一つなかった」
★日墨友好通商条約が締結
コバルービアスはメキシコに戻ってからも日本という国の宣伝に努め、金星大接近から14年後の1888年、日墨友好通商条約が締結されました。
そして、この条約が、日本にとって初の両国が対等な関係にある平等条約となりました。幕末に各国と結んだ不平等条約を何とか改定できないかと必死に考えていた日本にとって、平等条約の締結は悲願ともいえるものでした。
このため、メキシコ大使館の創設に当たり、日本が一等地を提供したのは、平等条約を結んでくれたメキシコに対する感謝の気持ちがあったと思われます。
なお、メキシコ観測団が金星を観測した横浜の野毛山の観測地には、記念碑が建てられています。