歴史上の人物(女性)

杉の大方は、毛利元就が"母"と慕った育ての親

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 毛利元就と言えば、戦国時代の中国地方の雄ですが、その戦いは二百数十回に及び、武略の天才でした。

 しかし、少年時代は、両親と死に別れるなど、決して恵まれた環境で育ったわけではありませんでした。

 そして、この元就少年を献身的に育ててくれたのが、亡き父・弘元の側室であった杉の大方でした。

 彼女の教育・生活は、元就少年に大きな影響を及ぼし、元就が彼女から培った人格形成により、その後の戦国時代の武将として大成していくのでした。

 今回は、この毛利元就の育ての母・杉の大方について、御案内します。

★幼くして孤児となった毛利元就

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 幼名を松寿丸といった元就は、明応六年(1497年)母の実家、福原城に産声をあげました。

 元就の父は毛利弘元で、母は福原広俊の娘でしたが、元就が四歳のときに、父・弘元は八歳の兄・興元に家督を譲って本城の郡山城を出てしまいました。

 そして、このとき元就も母と一緒に多治比猿掛城に移りました。

 しかし、その翌年、母は三十四歳で亡くなってしまいます。

 さらに、五年後には、父・弘元も三十九歳で他界してしまい、元就は十歳で孤児になってしまいました。

 父・弘元は、元就に隠居領の多治比三百貫を譲りましたが、幼い元就の後見人についた井上元盛が猿掛城とともにこれを差し押さえて元就に渡しませんでした。

 このような状況で、元就の頼りになるのは兄・興元だけでしたが、彼は元就が十一歳のとき、大内義興に従って足利義稙を擁して都にのぼり、三年間を留守にしているのでした。

 こうした元就の哀れな境遇に同情したのが父の側室だった杉の大方でした。

★育ての母・杉の方に育てられる毛利元就

 杉の大方は、中国地方の高橋氏の出身としか分かりません。

 「芸侯三家誌」には、「元就幼少にして父・弘元に後れ、御母杉の大方と一所に吉田相合の土居に住み給う」と記載されています。

 杉の大方は、少年の元就を連れて、夏は山陰の涼しい上中馬に住み、冬は太陽の光がこぼれる多治比日南の土居と、住む家をかえて、元就を養育したと言われています。

 杉の大方は、元就が両親を亡くし、兄と別れて、孤児同様となってしまった元就少年を、若い身空でありながら、元就のためについに再婚もせず、貞女を通したのでした。

 そして、杉の大方は、元就に生きることの大切さをやさしく教えてくれるのでした。

★杉の大方の愛情と教えが元就少年の人格を形成する

 元就は、杉の方と一緒に過ごすことによって、彼女を母と思って慕うとともに、若き継母のこの犠牲的精神は、元就の人格形成に深い影響を及ぼすのでした。

 そして元就が十一歳のときに、信心深かつた杉の大方に連れられて、ある屋敷に行きました。

 そこで、客僧から念仏の大事を受けて、これを伝授されました。このときから元就は毎朝かかさず念仏を唱え、それは終生続きました。

 のちに元就が妻・妙玖に全幅の信頼をよせ、子どもの教育をまかせ、また隆元、元春、隆景の子どもにていねいな教訓状を与えて、子どもたちの団結を訴えていくが、それは杉の大方に養育されたなかから生まれたものと言って過言ではないと思われます。

★杉の大方の満足と元就の感謝

 そして、杉の方は、天文十四年(1545年)六月に亡くなりました。

 このとき、元就はまだ49歳のときですから、一身を投げうって育てた元就少年が戦国武将として大成していく姿に満足しての他界だったと思われます。

 元就が六十二歳の永禄元年(1558年)長男の隆元に書き送った手紙は、この逆境の少年時代を回想して胸を打ちます。

 「われらは五歳にて母に離れ候。十歳にて父に離れ候。十一歳のとき興元京都へ上られ候。誠に了簡なくみなし子に罷り成り、大方殿あまり不便の体を御らん捨てられがたく候て、われら育てられ候ためばかりに、若き御身にて候ずれ共、御逗留候て、御育て候。それ故についに両夫にまみえられず、貞女を遂げられ候。然る間、大方殿に取りつき申し候て、京都の留守三ケ午を送り候」

 元就も実母同様に彼女に孝養をつくしました。

 順徳妙孝大姉。その生涯にぴったりの法号が、杉の大方につけられています。

★二つのお墓

 地元安芸高田市に元就の乳母と伝承される二つの墓があります。

 一つは「芸侯三家誌」がいう土居、つまり猿掛城の麓、現在多治比日南の弘元のいた屋敷の近くにあり、もう一つは、二キロほど離れた見坂峠を越えた上中馬というところにあります。

 この二つのお墓は、乳母ではなく、元就を育てた継母・杉の大方の墓とみられています。

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