歴史上の人物

『本能寺の変」の黒幕の新説を発見か?

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 天正十(一五八二)年六月二日、天下統一の目前にまで迫っていた織田信長は、明智光秀の裏切りにあって、本能寺の変で殺されてしまいました。

 この本能寺の変によって、多くの武将と、彼らを取り巻く女性たちも運命が大きく変わっていくのでした。

 この本能寺の変に関して、よく言われていることは、どうして明智光秀は、このような謀反を起こしたのかという理由です。

 この明智光秀が本能寺の変を起こした理由には諸説あり、羽柴秀吉陰謀説から明智光秀怨恨説、更には朝廷陰謀説など多々ありますが、確定的なものはなく、どれも諸説の一つに過ぎません。

 そんな中、一つ興味深い説を見つけました。

 それは、堺と博多の武器商人陰謀説です。今回はその話をご案内します。

★茶会は戦国時代に大流行

  戦国時代には、茶の湯が流行し、茶会が頻繁に開催されました。

 ちなみに、茶の湯とは、伝統的な様式に則り客人に抹茶をふるまう日本独特の文化のことで、単に茶を飲むことを楽しむだけでなく、茶道具や茶室に飾る美術品も楽しみ、さらには人生の目的や考え方をも追究するという実に深い総合芸術でした。

 そして、戦国時代には千利休などの有名な茶人も登場するほど、茶の湯が盛んに行われていたのでした。

 しかし、一方で茶会は非常に狭い茶室で催されたため、密談の舞台になることもしばしばありました。

 戦国武将や貴族、豪商などが茶会で顔を合わせ、秘密交渉や裏面工作を行うといったことが珍しくありませんでした。

★本能寺の変の前日は茶会が催されていた

 本能寺の変は、天正十(一五八二)午六月二日に京都・四条西洞院の本能寺で起こりましたが、信長は、その前日の六月一日に、その本能寺の書院で茶会を催していました。

 その茶会の目的は、博多の商人・島井宗室をもてなすために開かれたものでした。

 さらに、信長はこの茶会で、安土城から運んできた秘蔵の名物茶器三十八種を披露するほどの気合いの入れようでした。

 このように、信長が、博多の商人・島井宗室を厚遇したのは、将来の九州攻めに備えてのためだったと言われています。

 信長は、博多の商人たちと友好的な関係を築くことによって、九州制圧時の物資調達を円滑に進めようと考えていたのでした。

 そして、この茶会は大盛況で、やがて酒宴へと発展しました。

 その後には、さらに囲碁の対局まで行なわれ、お開きになったのは真夜中でした。

 しかし、皮肉なもので、その数時間後には明智光秀が攻めてきて、本能寺の変が起こるのでした。

★博多の商人・島井宗室とは? 

 前述のとおり、信長が接触を図った島井宗室は、単なるお茶好きの商人ではなく、九州の有力な大名・大友氏とも資金面で良好な関係をもち、博多支配の一翼を担う豪商でした。

 また、島井宗室は、積極的に畿内に出向いては堺などの茶人・豪商たちと親交を深めていました。

 そして、本能寺の変が起こる数時間前、島井宗室は、そのまま客として本能寺に泊まっていました。

 しかし、どういう訳か、島井宗室は、本能寺が明智光秀の襲撃を受けて炎で包まれる前に、「どうせ燃えてしまうものだから」と、弘法大師真蹟千字文の軸を持って本能寺から逃げ出していたのでした。

★島井宗室は「本能寺の変」を知っていたから逃げ出したのか?

 これらを踏まえて考えると、「明智光秀と島井宗室らが共謀して本能寺の変を起こしたのではないか。」という説が見えてきます。

 この場合、本能寺の変を計画したのが、明智光秀の茶の師匠で堺の商人・津田宗及であろうと思われます。

 そして、計画実行のための舞台設定が島井宗室となり、さらに実行犯が明智光秀ということになります。

★豪商たちが織田信長を殺害する動機

 一方で、それでは、どうして 信長の武器商人として働いていた豪商たちがこのような陰謀を企てるのでしょうか?

 確かに、豪商たちは、信長のお陰で多くの富を得ていました。

 しかし、この頃から信長は、堺からだけではなく、本能寺を経由した武器の買い付けも画策していたのでした。

 信長は、その性格上、合理主義であり不要となれば、アッという間に切り捨てられます。

 しかも、前触れなく突然であることも多く、武将、商人を問わず、信長と関わったがために最終的に恵まれなくなることも数多くありました。

 そんな中で、豪商たちは商売の危機を感じ、信長を邪魔な存在と見なすようになったのでした。

★堺商人・津田宗及の信長を殺害するもう一つの動機

 さらに、堺商人・津田宗及は、茶人としても信長に重用されていました。

 しかし、この頃には、信長のお気に入りが次第に干利休に傾きつつある頃でした。

 このため、津田宗及とすれば、自分はやがて信長から見捨てられるのではないかとの不安もあったと思われます。

 そして、実際に明智光秀は、この本能寺の変の前に、用済みとばかりに所領を丹波と近江坂本から出雲、石見という、まだ敵方の領土へと所領換えを言い渡されていたのでした。

 このようなことから、豪商たちとすれば、信長と取引をせず、新しくライバルになりつつある本能寺もろとも消そうと考えても全然おかしくはない訳です。

 これは、従来の諸説を覆す驚くべき説だと思われます。

 豪商たちは、茶会で密談を行って、都市部の物流を掌握し、さらには大名暗殺までも計画する。

 いつの時代も、お金を持っている人が一番強いのかも知れませんね。

 

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