歴史上の人物

執権・北条時頼と謡曲「鉢ノ木」

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 5代執権の北条時頼は、反北条勢力や有力な御家人を滅ぼすとともに、これまでの将軍を追放して新たな将軍を擁立するなどを行い、鎌倉幕府の執権体制が確立していくことに大きな役割を果たしていきます

 しかし、それと同時に、幕府の政治の公正化や迅速化を図り、庶民に対して救済政策を施し、保護に努めるなど、その内容は評価されています。

 その一方で、自分は質素で堅実、宗教心にも厚いため、歴代執権の中でも有数とされている人物です。

 その時頼ですが、諸国を回って人助けをしていたという伝説もあり、そのエピソードの一つが謡曲「鉢ノ木」に残されていますので、今回はその内容を御紹介します。

★執権が僧侶となって諸国を旅する

 ある日、上野国佐野(現・群馬県高崎市)に、信濃国(現・長野県)から鎌倉へ向かっているという僧侶がたどり着きました。

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 しかし、その日はあいにくの大雪でした。そして、夜も更けてきて、気温は下がる一方です。

 このため、僧侶は一泊の宿を求めて、近くにあった民家を訪ねました。

 訪ねを受けた家主・佐野源左衛門常世は悩みました。

 家は、とても貧乏で、僧侶をもてなすことなどできないと思ったのでした。

 そのため一度は断りました。

 しかし、源左衛門は、肩を落としてトボトボ去っていく僧侶の後ろ姿を見て、何とか泊めてあげることにしました。

 けれども、家には薪もなく、食べ物も消えた粟飯ぐらいしかありません。

 さらに、気温は、どんどん下がっていき、体が芯から冷え切ってしまっています。

 このため、源左衛門は急に立ち上がると、梅・松・桜が植えられた鉢を持ってきました。

 これを見た僧侶が、その美しさを褒めようとするや否や、源左衛門は鉢から木を抜き取り、囲炉裏にくべてしまったのです。

 そして言います。「貧しい我が家では、何ももてなすことはできません。せめて体だけでも温まってください。」

 

 しかし、僧侶が家の中を見渡してみると、立派な薙刀や鎧が収められている箱がありました。

 僧侶が不思議に思って話を聞くと、色々なことがわかりました

 

 源左衛門は、この一帯を治めていた武士でしたが、今は領地を没収され、苦しい生活を強いられていました。

 けれども、幕府忠義の心は変わらず、 鎌倉で一大事が起これば、薙刀や鎧を持ち、 痩せ馬に乗って鎌倉に馳せ参じるつもりでいたので、大切にしているということでした。

 

 これを聞いた僧侶は言葉を失くし、うなずきながらこの話を黙て聞いていました。

 そして、翌日、礼を言って家を後にしました。

 

★佐野源左衛門常世への出頭命令

 しばらくしたある日、鎌倉幕府から「急ぎ鎌倉に集まれ。」との命が各地に発せられました。

 源左衛門も痩せ馬に乗り、急ぎ、鎌倉に駆けつけます。

 しかし、鎌倉で、源左衛門を待っていたのは、あの時の僧侶でした。

 

 そして、僧侶は、笑いかけて言います。「源左衛門常世、 あの時は世話になったな。」

 そうです。あの僧侶は、時の執権北条時頼だったのです。

 彼は、源左衛門の忠義を褒め称え、佐野の領地を取り戻してあげました。

 

 さらに、あの時の薪にされた、梅、松、桜の木にちなんで、梅田、松井田、桜井という3箇所の領土を源左衛門に与えたというのでした。

 

★最後に

 このお話は、実話か否かは存じ上げませんが、テレビの時代劇でありそうなものですね。

 ちょっと聞くと、「棚から牡丹餅」的なものですが、しかし、源左衛門に幸運が訪れたのは、何よりも源左衛門が幕府に対する忠誠心を失っていない、という最も大切な本人の志が評価されてのことなのでしょうね。

 「人生には大きな坂が3つある。上り坂、下り坂、まさか。」と言ったのは、元総理大臣の小泉純一郎さんですが、本当に調子がいい時もあれば、逆風の時もありますよね。

 だけど、どんなときも、投げやりにならず、自分の最も大切な志を忘れず、生きていきたいものですね。

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