沖田総司と言えば、江戸末期の京都の新撰組で一番隊隊長として知られています。
沖田総司のイメージとしては、
- 白でイケメン、やさしくて人気者、
- 豪であるが肺結核を患い、池田屋事件では喀血しつつ剣で戦う
概ね、こんなイメージで、映画、テレビでは描かれていますね。
実際、テレビの中で、沖田総司役が、チビ・デブなら、ありえないと視聴者から反感をかってしまい、視聴率は下がってしまっても不思議ではないですね。
また、池田屋事件では、敵側は20~30名、新選組は当初は4名(あとで土方ら12~3名が合流)、と圧倒的に兵力が不利のなか、沖田が喀血して生きて池田屋を出てことが可能だったのか、という疑問が湧いてきます。、
では、本当のところは、どうだったのでしょうか。検証をしてみたいと思います。
目次
★沖田総司はイケメンで女性に人気があった?
・沖田総司の写真は現存しない
歴史資料などを見ていますと、同じ新選組の近藤勇や、土方歳三には写真がありますが、、沖田総司の写真はありません。
2018年現在で、沖田総司の写真は存在しないというのが通説となっています。
しかし、沖田総司の写真として、出回っているがありますが、それは、誰かが違う人物写真を合成したものと言われています。
また、一方、人物画も出回っていますが、これは、沖田の姉ミツさんが、自分の子供が沖田に似ているといったことを受け、誰かが描いたもので、本人をベースに記載されたものではないとのことです。
だけど、この人物画ですが、イケメンとはチョット違ったイメージですね。
また、過去の証言や、記録などには、「ヒラメ顔で笑うと愛嬌のある色黒」、「猫背」「長身」という表現はありますが、「いい男だった」という証言・記載はありません。
さらに、新撰組には、美男5人衆と言われていた人たちがおり、楠小十郎、佐々木愛次郎、馬越三郎、馬詰柳太郎、山野八十八と沖田のこの中には入ってきません。
なんだか、やっぱり沖田はイケメンでは、無かった可能性が高いですね。
・だけど映画・テレビではイケメン俳優が演じる
だけど、実際、映画・テレビでは、今度も若手のイケメン俳優が沖田総司を演じると思われます。
このパターンは、誰かに似ていませんか。
そうです。源義経です。
源義経の場合、平安時代末期当時の本人の肖像画はありますが、イケメンとは言い難いですね。
だけど、映画・テレビでは、イケメン俳優が演じているイメージがありますよね。
源義経についても、映画・テレビで、チビ・デブの俳優が演じていたら、やっぱ違和感がありますよね。
・沖田総司イケメン説の結論
ここで、沖田総司と源義経の2人の共通点を探してみましょう。
1 悲運の死
2 主人公をサポートする若手の位置付け
3 剣(合戦)の天才
私の私見ですが、どうやら、この3つの条件がくると、日本人の美意識の中で、本人達を美化していくようですね。
★沖田総司は池田屋事件で喀血したのか
次に、池田屋事件での喀血が本当だったのか検証してみます
・映画・テレビで描かれているシーン
沖田総司が池田屋事件で戦いながら喀血する、テレビで出てきそうなシーンですが、それが彼の悲劇性を高めていると言われています。
よく言われているのが、一人目を軽々と切り倒し、その後で、喀血して倒れたというものです。
だけど、前述のとおり、ここで違和感が生じます。
なぜ、沖田は、戦い中に喀血して倒れて、負傷なく無傷ですんだのでしょうか?
実際に、記録によると、次の日も沖田は元気に働いているようです。
また、肺結核で喀血するというのは、相当に病で進行している証拠のようです。
肺結核で、喀血するまで進行している場合、池田屋に討ち入りに行くという行為すらできないほどの病人だと思われますので、沖田の池田屋事件での喀血はなかったと思われます。
・池田屋事件の結論
一方で、新撰組で大正時代まで生き残った永倉新八の「新撰組始末記」には、「沖田は激闘途中で昏倒」と証言したとされています。
そうするとやっぱり池田屋で倒れたのでしょうか?
ここでよく言われているのが、熱中症だったのではないかという説です。
それであれば、翌日、働いていたことも辻褄があいます。
池田屋事件の季節は京都の旧暦の6月、現在のカレンダーで7月になり、京都盆地独特の蒸し熱い日であった考えられますので、熱中症の可能性は大いにあると思われます。
ここで、私見ですが、剣豪沖田のことですので、狭い室内でも得意の「三段突き」で3人、4人と斬り倒し、味方の人数の不足を補うように働き、更に、土方隊が合流してきて余裕がでてきたところで、熱中症で気分が悪くなり戦いを外れたという話の流れですと、筋が通るのかなあと思われます。
★沖田総司は、だけど伝説の人物?
最後に、沖田に関する証言・記述を見ていると、その性格の良さが伺えます。
あの、新選組副長の鬼の土方ですら、「総司、総司」と可愛がっていたといいます。
また、新撰組総長・山南敬助も沖田をしても信頼しており、山南が新撰組から逃亡したときは、沖田がすぐさま追いかけ、「他の者ならいざ知らず、総司が来たのなら仕方がない。」と切腹をすることを覚悟で京に戻ります。
また、沖田は、常に、周囲の人に愛され、時間が空いたときは、近所の子供たちと遊んでやっていたそうです。
そして、真剣な顔を見せることは余りなく、いつも笑顔で、心に余裕を持って生きている感があったそうです。
さらに、剣は無茶苦茶に強く、隊士のエピソードでは「土方、藤堂は剣で子供扱いされていた。」という上に、敵に囲まれピンチになった時も、「緊張しますね。」と言いながらも、落ち着いた剣さばきで、敵を倒していくというのであるから、人気が出て、美男子化されて当然かもしれませんね。